米谷城 (まいやじょう)
所在地 宮城県登米市東和町米谷 2013.8.11 2017.7.8
米谷城 (まいやじょう)
所在地 宮城県登米市東和町米谷 2013.8.11 2017.7.8
登城ルート(緑線は車道)
国道398号・南西側の入り口
虎口・2郭の切岸
2郭跡・標識
主郭東の切岸
登米市配水設備
米谷城 主郭跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 曲輪跡に「米谷古城跡」の看板が立てられており、2郭と思われる。江戸時代には本丸として使われたという。
東の山頂が主郭で、鬱蒼としており踏み込めなかったが、南から東にかけて切岸が見られる。東端には「登米市配水設備」がある。
南下段にある宅地(高泉家)の私有地となっている。
【案内】 北上川東岸を走る県道20号線と国道398号線(本吉街道)の交差点より北へ約850m行き、石垣のある高台の南を東に曲がり、民家横を登ると米谷古城跡である[マップコード199 170 228*35]。南東200mに県立米谷工業高校がある。
【歴史】 築城年代は定かではない。葛西氏の家臣・米谷氏が代々居城としていたと云われる。
葛西氏が滅亡した後は伊達氏の所領となり、文禄五年(1596年)には桑折新左衛門、元和二年(1616年)には柴田宗朝が居城とした。
一国一城令後は要害の下の「所」扱いとなった。
天和元年(1681年)柴田宗意が幕府より5千石を拝領し船岡城へ移った。元禄十六年(1703年)高泉兼康が黒沼より2千7百石で入り、高泉氏が代々続き、明治維新を迎えた。