渕牛館 (えんぎゅうだて) (華山城) (かざんじょう)
最寄地 宮城県栗原市花山字本沢稲干場2―1 2019.10.1
渕牛館 (えんぎゅうだて) (華山城) (かざんじょう)
最寄地 宮城県栗原市花山字本沢稲干場2―1 2019.10.1
登城ルート(緑線は車道)
東側登り口・説明板
東側下段の堀切
東中段の横堀
東上段の横堀
2段になった主郭
腰郭
南の展望台
渕牛館跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高60m(駐車場より)】
【感想】 花山湖の北岸に突き出た標高242mの山頂に築かれている。
主郭は東西2段になっており、北側に腰郭、北西側に段郭が見られる。東側尾根に上下2条の横堀があり、堀切や竪堀も残っている。
【案内】 「花山青少年旅行村」(表記番地)へ向かう北側を通る県道178号線に「渕牛館」の道路標識があり、500m先の駐車場西に、案内板が建てられている[マップコード573 119 756*18](地図)。
西に舗装された遊歩道を登ってゆくと、峠付近に斜めに竪堀が見え、その20m先から右へ登り西に行くと深い堀切がある。
その中段に横堀があり、上段にも横堀が残り北側に伸びている。そこを登ると、東西に細長く2段になった主郭があり、北に腰曲輪がある。
南側の休憩所に向かう尾根に堀切がある。また、北西側に段郭があり、堀切も見られる。
北側からのルートとして、県道178号線横に説明案内板が建てられ駐車スペースがある[マップコード573 148 167*03](地図)。
【歴史】 陸奥国の豪族・安倍頼時により築城され、その子・厨川次郎貞任(安倍貞任(さだとう))の居城とされ、往古は崋山城と称した。
頼時と貞任は永承六年(1051年)鬼切部(鳴子町鬼首)の戦いで、渕牛館を基地として善戦したという。
前九年の役(1051~62年)で、貞任は猿飛(さるはね)(現花山ダム堰堤)を岩石や丸太で堰き止め水を湛え、守りを固めていた。
康平五年(1062年)の夏、源頼義・義家軍2700余騎は、歩兵を伴い裏手の軍沢(いくさざわ)より渕牛館を包囲した。
貞任軍も善戦したが、利あらず貞任は一部の手兵と脱出し、衣川柵に退いたが、城兵は全員戦死し落城したと伝えられる。
落城後、源氏の家臣・佐藤左衛門公清の居城となり、応永五年(1398年)まで支配した。
その後、葛西氏、大崎氏の家臣となり伊達政宗の時、廃城となった。