姫松館 (ひめまつだて) (市の史跡)
最寄地 宮城県栗原市一迫真坂館浦59 2019.10.1
姫松館 (ひめまつだて) (市の史跡)
最寄地 宮城県栗原市一迫真坂館浦59 2019.10.1
登城ルート(緑線は車道)
西館西の切岸・標柱(駐車可)
西館・土壇の幼木神社
中館北の2重横堀
中館・土塁
堀切・東館
東郭東の2重堀切
東端の2重堀切
姫松館跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高10m(駐車場より)】
【感想】 一迫川左岸の丘陵に築かれており、東西約700mに及ぶ長大な城で、3つの主要館と4つの郭から構成された連郭式の城となっている。
戦国時代に追加改修された可能性もあり、中館の上下になった2重横堀、土塁は見応えがある。東館やその東の郭には2重堀切が見られ、圧巻である。
【案内】 県道17号線の龍雲寺(表記番地)向かいに「姫松館跡」の標柱が建てられている[マップコード141 879 505*61]。
その北側にも入口があり、案内図が建てられている[マップコード141 879 626*53]。どちらから行っても西側で合流し、未舗装道を含め約700m行くと西館下に駐車できる。
西館下に「姫松館森林公園」「文学の森」の碑が建てられ、西館南側の段郭に句碑が多数建てられている。西館には大きな説明案内板が建てられ、忠魂碑や北側の土壇に幼木神社が祀られている。
東に行くと土橋があり、左に2重横堀があり、上段に土塁を備えた中館(主郭)がある。
東に堀切を経て、四阿のある東館がある。2重堀切を経て広い郭があり、その東にも立派な2重堀切がある。
栗原市の指定史跡となっている。
【歴史】 築城年代は定かではないが、館主は奥州藤原氏の臣・井ノ山雅楽之丞と伝えられる。一説に大崎氏の家臣湯山雅楽允の居館とも云われる。
源頼朝の奥州征伐の翌文治六年(1190年)、井ノ山雅楽之丞は奥州藤原氏の残党大河兼任の乱に味方して、姫松館に立て籠もり、鎌倉方に攻められ落城した。
姫松については、落城のとき千代姫が傘で崖を飛び降り逃亡した伝説がある。
その後、戦国時代に大崎氏、伊達氏が利用した可能性も指摘されている。