弁天台場 (べんてんだいば)
所在地 北海道函館市弁天町20 2014.8.4
弁天台場 (べんてんだいば)
所在地 北海道函館市弁天町20 2014.8.4
函館どっく前・標柱
弁天台場跡碑(地図)
【遺構★☆☆☆☆】
【案内・感想】 市電函館どつく前駅より北に100m行った函館どつく㈱の門前に「弁天台場跡」の標柱が建てられているのみである[マップコード86 069 537*66] 。
周囲390間余(約710m)、不等辺六角形で、上から見ると将棋の駒のような形をしていた。総面積は1万1611坪(約383,000m²)、 高さ37尺(約11.2m)の石垣をもつ土塁約780mで囲まれていた。
東南端にはトンネル式通路のアーチ型入口を構えていた。砲眼15門(60斤砲2、24斤砲13門)を装備し、その中にはエフィム・プチャーチン搭乗のロシア艦ディアナ号のものもあったといわれている。
土石は主に函館山より切り出し、大手門などの重要な部分には、大坂から運んだ備前御影石を用いたといわれる。工事は松川弁之助が請負い、翌年から井上喜三郎がこれを引き継いだ。
【歴史】 江戸幕府が安政三年(1856年)から文久三年(1863年)にかけて、外国船襲来に備えて箱館湾沖に建設した。
しかし実際に使用されたのは箱館戦争という内戦に於いてであった。箱館戦争終盤の箱館湾海戦において、新選組が中心となった旧幕府軍はこの台場に立て籠り奮闘したが、箱館市内が新政府軍によって占領され孤立した。
明治二年(1869年)五月十五日、本陣五稜郭に先立って弁天台場は新政府軍に降伏した。
明治三十年頃に取り壊され、使われていた石材は函館漁港の護岸工事に使用された。