高谷城 (たかやじょう)
最寄地 静岡県伊豆市土肥79 2016.3.26
高谷城 (たかやじょう)
最寄地 静岡県伊豆市土肥79 2016.3.26
登城ルート(緑線は車道)
諏訪神社前・登り口(右へ)
北側林道・本丸東空き地
虎口
主郭東腰郭
主郭跡
2郭東の堀切
2郭土塁
高谷城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高60m】
【案内・感想】 駿河湾を望む民家(伊豆市小土肥325)横を通る林道をさらに300mほど行った右に空き地の駐車スペースがある[マップコード248 875 632*15](地図)。
南に行って、本丸南東側の入口(藪の間)を右に曲がってゆくと、倒壊した小屋の北に腰郭を備えた主郭に出る。
最高所は20m四方ほどの平坦地で、草茫々である。西に行くと、腰郭、小郭があり、堀切を挟んで2郭がある(地図)。2郭には土塁が残っている。
さらに南に行くと、畑となっている3郭があり(地図)、弁財天の北に位置する(擁壁があり、東側の民家の間に階段がある)。
諏訪神社石段手前の右側にも登り口があり(地図)、随所に石段の残る堀道があり、比高約60mの本丸南東側の入口(藪の間)に合流する。
【歴史】 築城年代は明らかではない。 富永氏は三河国設楽郡の出で、応仁の乱前後に伊豆へ移住してきたものと考えられている。
延徳三年(1491年)、富永政直(三郎左衛門尉)は北条早雲の伊豆侵攻に呼応して挙兵、北条氏に従った。
富永政直の子政辰・孫康景と続き、康景の子政家は北条家五家老に列せられた。
天正十八年(1590年)豊臣秀吉に攻められて北条氏が敗れると、主家と運命を共にした。