森本城 (もりもとじょう)
所在地 三重県松阪市嬉野森本町750 2021.2.7
森本城 (もりもとじょう)
所在地 三重県松阪市嬉野森本町750 2021.2.7
登城ルート(緑線は車道)
神宮寺山門
神宮寺
墓地北西の入口
空堀
空堀(続き)
主郭南側土塁
標識
主郭南東土塁
森本城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 中村川右岸の段丘北西に築かれた崖端城となっている。
はじめ南側から北へ半信半疑で歩いていると、「森本城跡40m」の標識が見つかり杉林を北へ歩いてゆくと、主郭にたどり着けた。逆Ⅼ字形の土塁がよく残っていた。
【案内】 県道30号線「嬉野美杉線」より西へ行った「神宮寺」(表記番地)境内の北西にある[マップコード80 367 126*50]。
本堂裏にある墓地の空き地の北西隅(地図)から、入ると空堀がありさらに北側に逆Ⅼ字形の土塁の城跡がある。
【歴史】 北畠顕能の三男木造顕俊の子俊重が築城し、森本氏を名乗り代々飛騨守を称した。
永禄十二年(1569年)織田信長の伊勢侵攻の際、森本飛騨守は大河内城に籠城する北畠具教と共に対抗し、信長の次男信雄に北畠の家督を譲る条件で和睦した。
天正四年(1576年)北畠具教が暗殺され北畠氏が滅亡すると森本俊貞は称念寺を建立して北畠一族を弔った。