高城城 (たかじょうじょう)
最寄地 新潟県三条市森町840 2016.10.8
高城城 (たかじょうじょう)
最寄地 新潟県三条市森町840 2016.10.8
登城ルート(赤色は高城城/緑色は森町要害)
長尾家廟所
長禅寺左手の登り口
1番目の空堀(堀切)
2番目の空堀(堀切)
本丸
本丸東の空堀(堀切)
2の丸
2の丸東の空堀(堀切)
3の丸東の空堀(堀切)
高城城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高290m】
【案内・感想】 県道9号線の五十嵐川北より東に行った長禅寺(表記番地)先の「高城ヒメサユリの小径」の駐車場が用意されている[マップコード318 461 384*88] 。長禅寺本堂左より登る(標識あり)。墓地の一角に長尾家廟所がある。
登ってゆくと、駐車場から続くアスファルト道路に出、200mほど行くと、「高城ヒメサユリの小径」として遊歩道が整備されている。姫小百合の群生地で遊歩道に沿って句碑が点々と建てられている。
歩行距離1.6km所要時間は約60分で、標高373mの本丸跡に着く。本丸跡は二段になり、避難小屋、本丸碑などが建てられている。南に眺望が開け、五十嵐川や八木鼻の断崖が望める。
途中の尾根には「牛窪の砦」、空堀が2条残り、本丸東に空堀、2の丸、空堀、3の丸、空堀と並んでいる。
【歴史】 室町時代、国人領主として下田郷(しただごう)の東半分を支配した下田長尾氏が本拠とした。
応永三十三年(1426年)の史料に見られる長尾因幡守豊景によって築かれたとされる。
下田長尾氏の支配は5代150年間にわたり、永禄十一年(1568年)栃尾城主本庄氏に攻められ落城したと云われている。