萩原諏訪城 (はぎわらすわじょう)
最寄地 岐阜県下呂市萩原町萩原671 2014.7.3
萩原諏訪城 (はぎわらすわじょう)
最寄地 岐阜県下呂市萩原町萩原671 2014.7.3
石垣・堀
諏訪神社
南東石垣、秋葉社
西側鳥居・城址碑
北西側の池
萩原諏訪城跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 「諏訪集会場」(表記番地)駐車場の北に城跡がある[マップコード361 745 442*88] 。
城の敷地は正方形で、南と東に虎口が設けられ、正門が南側、搦手が東側にあった。
遺構は飛騨川から運ばれたと思われる丸石の石垣と堀が巡らされている。北西部の外に池がある。
中央石垣の上に諏訪神社本殿に建御名方富命・天照皇大神・八坂刀売命が祀られ、拝殿がある。また南西石垣台に天満神社、戸隠社、津島社、琴平社が祀られ、南東石垣台に秋葉社、那智社、床浦社、山神社、愛宕社が祀られ、東の太鼓橋付近の石垣台に稲荷神社が夫々祀られている。
【歴史】 文保二年(1318年)から十年に亘って萩原に七堂伽藍を備えた真勝寺が造営され、真勝寺の守護神として諏訪上社(建御名方富命)が勧請された。
永正十一年(1514年)三木氏の家臣・内記新七郎頼定により諏訪下社(八坂刀売命)が勧請された。
天正十三年(1585年)に金森長近は三木氏を滅ぼして飛騨国の領主となり、高山城を本城とした。これに加え、支城として増島城と萩原諏訪城を置いた。
天正十四年(1586年)美濃鉈尾山城主・佐藤六左衛門秀方に命じて、諏訪神社を上村の大覚寺南東山麓に遷しその跡地に萩原諏訪城が築かれ、近くの桜洞城を廃し、佐藤秀方が城主となった。
元和二年(1616年)能州の住人岡部長左衛門元成が諏訪大明神は府中の総社であるとして天照皇大神を勧請した。 慶長二十年(1615年)の一国一城令により廃城となった後も金森氏の旅館として残っていたが、元禄五年(1692年)に金森家の転封に伴って破却された。
その後、宝永六年(1709年)に諏訪神社が戻ってきて、末社十社が勧請され、忠魂社が建てられて現在に至る。
城跡は、昭和四十一年(1966年)に岐阜県指定史跡となった。城跡内の臥竜の藤は、岐阜県指定天然記念物である。