奥殿陣屋 (おくとのじんや)
所在地 愛知県岡崎市奥殿町雑谷下10 2014.12.9
奥殿陣屋 (おくとのじんや)
所在地 愛知県岡崎市奥殿町雑谷下10 2014.12.9
案内図
復元門
書院・表御殿跡
奥殿陣屋跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 県道338号線に面し奥殿陣屋駐車場が用意されている[マップコード30 113 224*27](地図)。
その東約100mの「奥殿陣屋」交差点の100m東に、復元門や奥殿陣屋書院(表記番地:奥殿陣屋の茶屋)があり、その南に食事処「金鳳亭」、北に資料室がある。
【歴史】 奥殿松平家初代真次(さねつぐ)は徳川二代将軍秀忠に仕え、大阪両度の陣に活躍して3千石を与えられ、大給(豊田市大内町)に陣を置いた。
以後二度の加増があり、第2代乗次の時1万6千石の大名となった。第3代乗成(のりしげ)の後、第4代乗真(のりさね)は正徳元年(1711年)奥殿に陣屋が完成して移り、奥殿藩を立藩した。
以後、第5代盈乗(みつのり)、第6代乗穏(のりやす)、第7代乗友、第8代乗伊(のりただ)、第9代乗羨(のりよし)、第10代乗利、第11代乗謨(のりかた・のち恒(ゆずる))と続き、文久三年(1863年)までの150年余、藩の中心としての役割を果たした。
幕末激動の情勢に応じて、乗謨は信州に龍岡城築城を計画し、元治元年(1864年)三月着工、慶応三年(1867年)竣工、地字名をとって龍岡城と称した。
明治四年(1871年)廃藩置県で奥殿陣屋建物は移築、取り壊された。昭和五十九年桑原町竜渓院の庫裏となっていた書院が現在地に移築復元された。