小田井城 (おたいじょう)
所在地 愛知県清須市西枇杷島町小田井2丁目8 2014.12.13 2015.5.2
小田井城 (おたいじょう)
所在地 愛知県清須市西枇杷島町小田井2丁目8 2014.12.13 2015.5.2
古城交差点
小田井城趾碑
小田井城趾碑
【遺構★☆☆☆☆】
【案内・感想】 小田井城は、現在の愛知県清須市西枇杷島町の国道22号線「古城」交差点にあった。
「城跡公園」内にある「郷一町内会集会所」(表記番地)西の公園隅に「小田井城趾」の石碑が移設されている[マップコード4 435 305*82](地図)。
石碑は、大正五年(1916年)十一月に大正天皇御太典記念事業の一環として建てられたものである。今ある城跡公園は、交差点を作る際に石碑を移設したものである。
【歴史】 築城時期は応永年間(1394~1428年)と云われる。 清洲の尾張国守護斯波氏の守護代「織田大和守家」当主の織田敏定が清洲城の支城として築城したといわれる。
その後織田敏定が本拠を清洲城に移すと、その弟とされる、織田藤左衛門家当主・織田常寛(つねとお・つねひろ)が城主となった。
以来、「織田藤左衛門家」の居城として織田寛故(とおもと)、織田信張、織田信直らが城主となった。
天正八年(1580年)頃、織田忠辰が羽柴秀吉によって追われ、廃城になった。