南部氏館 (なんぶしやかた)
所在地 山梨県南巨摩郡南部町南部8244 2025.9.27
南部氏館 (なんぶしやかた)
所在地 山梨県南巨摩郡南部町南部8244 2025.9.27
富士川
城町集会所
館跡の民家
説明板・井戸
説明板
井戸
東側の崖
妙浄寺
南部氏館跡 井戸(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 南部町南部の民家の前に転落防止された井戸が残されている。民家が建ち並び遺構は少ないが、東側道路横の1m余の段差や南東の竹林の中に崖が見られる。
【案内】 身延道から富士川右岸の道路に入る[マップコード483 744 503*08]。富士川右岸の城町集会所前の道路反対側に駐車スペースがある。
南に行った民家(表記番地)の敷地内に説明板が建てられ、井戸が保存されている。西に200mほど行った妙浄寺(南部町南部8122)は南部氏の菩提寺である。
【歴史】 甲斐源氏の祖新羅三郎義光の末裔で、加賀美二郎遠光の三男・南部光行は治承四年(1180年)、石橋山の戦いで源頼朝に与して功を挙げ、甲斐国南部牧(現在の山梨県南部町)を与えられた。このとき、南部姓を称したという。
文治五年(1189年)、奥州藤原泰衡追討の平泉の合戦で戦功を挙げ陸奥国糠部郡などを与えられた。
これにより南部光行は陸奥へ下向し、陸奥国相内館を経て平良ヶ崎城へと移った。
一方、南部光行の三男実長が波木井郷の地頭職となって残り、居館を波木井郷に築いた。