西尾城 (にしおじょう) (鶴城・鶴ヶ城・錦丘城・西条城)
所在地 愛知県西尾市錦城町229 2014.12.9
西尾城 (にしおじょう) (鶴城・鶴ヶ城・錦丘城・西条城)
所在地 愛知県西尾市錦城町229 2014.12.9
案内板
二の丸鍮石門
本丸・城址碑
本丸丑寅櫓
二の丸天守台
西尾城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 西尾市歴史公園として整備され、姫の丸跡には、西尾市資料館(表記番地)が建てられ、駐車場が用意され、「西尾城姫丸門址」の石碑がある[マップコード17 111 547*08]。
東の丸跡は、市立西尾小学校の敷地に利用され、それ以外は住宅地や市街地となっている。「二の丸鍮石門(ちゅうじゃくもん)」・土塁が復元され、旧近衛邸があり、丸馬出し跡に白玉石が敷き詰められている。
その南に土塁・堀があり、本丸跡には土塁が巡らされ四隅に櫓があったが、現在「本丸丑寅櫓」が平成八年に再建されている。
また丑寅櫓から伸びる土塁を断ち切る断面に、野面積みの石垣が残る。そこには本丸表門があった。「西尾神社」、西尾城の守護神の「御劔八幡宮」が建立され、「西尾城址」の石碑が建てられている。
公園の北隅に三層四階の天守があった「二の丸天守台」の石垣があり、井戸跡がある。 平成七年(1995年)近衛家の数寄屋棟と茶室棟が移築された。
平成八年(1996年)本丸丑寅櫓と鍮石門が再建され、西尾市立歴史公園が開園された。西尾市の史跡に指定されている。
【歴史】 弘治三年(1557年)に、『今川義元判物写』に西尾城の存在が認められる。 永禄四年(1561年)酒井正親が城主となった。
天正十三年(1585年)城主が酒井正親の子、酒井重忠の時に徳川家康の命により改修され、二の丸に天守が築かれた。
天正十八年(1590年)重忠が徳川家康の関東移封に従うと、近江国より転封し岡崎城主となった田中吉政が西尾城主も兼ね、三の丸の拡張や大手黒門、新門の楼門二棟、櫓門二棟が建てられた。
慶長六年(1601年)本多康俊が表高2万石で初代西尾藩主として入城した。
元和三年(1617年)下野国板橋城より松平成重が移り、その後本多俊次と続いた。
寛永十五年(1638年)太田資宗が表高3万5千石で入封した。城下町を囲む総構えの工事に着手した。
正保二年(1645年)井伊直好が入封し、明暦三年(1657年)総構えを完成させた。以降の藩主は増山氏2代、土井氏4代、三浦氏2代と続いた。
明和元年(1764年)出羽国山形藩から松平乗祐(大給松平家)が表高6万石で入封し、以降5代続いた。
明治二年(1869年)最後の藩主となった松平乗秩(のりつね)によって版籍奉還が行われた。
明治四年(1871年)西尾県の県庁が置かれたが、同年に額田県に併合された。翌年、 天守以下の建物が解体され、明治十一年(1878年)廃城となる。