桑山城 (くわやまじょう)
所在地 富山県南砺市川西 2019.6.19
桑山城 (くわやまじょう)
所在地 富山県南砺市川西 2019.6.19
説明板
登城ルート(緑線は車道)
桑山神社鳥居・説明板
テレビ塔・駐車場
桑山日宮社
主郭・三角点
空堀(東側)
北側帯郭
北側帯郭・横堀
桑山城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 福光城の北西2.6kmの標高292.4mの桑山に築かれている。
桑山火宮社のある平坦地の北側に横矢の掛かるクランクした空堀がよく残っており、その北に主郭がある。
主郭の周囲に切岸が廻り、西側に副郭、北に帯郭、横堀が残っている。
【案内】 南砺市川西の表記番地より西に行くとゲートのある林道入口がある[マップコード122 254 603*36](地図)。
そこより約1.2km行った桑山神社の鳥居先の終点に、テレビ塔がありそこに駐車できる[マップコード122 282 053*12]。途中から未舗装となり草で腹を擦りながら行くが、カーナビにルートは表示されない。
桑山神社の鳥居横に説明板が建てられ、石段を登ると桑山火宮社があり背後に三角点が設置されている。
北に行くとクランクした空堀があり主郭がある。主郭は空堀に面して土塁があり、かなりの広さがある。北側に帯郭があり、横堀が見られる。
【歴史】 『闘争記』によると、文明十三年(1481年)山田川で福光城主石黒右近光義並びに医王山惣海寺の衆徒が、井波瑞泉寺の一向一揆と戦った。
この時、以前石黒家分として桑山城を預かっていた坊坂四郎左衛門が加賀勢(一向一揆)と与して医王山を焼き払い、石黒氏の居城であった福光城にも火を放った。この結果、石黒勢は総崩れとなって滅んだという。