杣山城 (そまやまじょう)
所在地 福井県南越前町阿久和 2014.6.15
杣山城 (そまやまじょう)
所在地 福井県南越前町阿久和 2014.6.15
登城ルート(矢印は林道入口)
林道入り口(正面へ)
西御殿跡碑
西御殿曲輪
土橋
袿(うちぎ)掛岩
堀切跡
本丸跡・城跡碑
北麓の百間馬場と家臣大屋敷跡
杣山城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高230m(林道終点より)】
【感想】 南越前町中央部に位置する標高492.1mの杣山山頂に、瓜生氏により築かれた山城である。
自然の要害とも言える険しい崖を利用しており、その分堀切などは多くなかった。南北朝時代には南朝方の越前国における拠点となったという。
【案内】 北陸自動車道を潜って県道137号線を東に約550m行き、県道202号線との交差点を南に約350m行った林道入り口(地図)に猪除け電線があり、三本を開け閉めて2㎞ほど登ると駐車場がある[マップコード200 206 514*63]。
駐車場から比高220mの杣山へ南に登山道を400mほど登ると「西御殿跡」の曲輪がある。登山道には点々と「仏像」が置かれている。更に300mほど登ると袿(うちぎ)掛岩がある。
頂上近くの大絶壁で、瓜生保戦死の際、その奥方や侍女達はこの岩に袿をかけ、飛び降り死んだと云われている。
岩場を登って100mほど行くと、堀切跡の碑がある。その上が本丸跡で「杣山山頂戦場跡」「杣山城跡」「杣山の起り」の石碑が東に並び、祠がある。中央に「杣山城本丸趾」の石碑が建てられている。
麓の南越前町阿久和66の東には県道202号線に沿って「百間馬場と家臣大屋敷跡」の碑が建てられている[マップコード200 236 017*62](地図)。
駐車場南に一ノ木戸口、居館跡があり、そこから登山道となっている。又、600mほど東に行った「花はす温泉そまやま」の東にも登山道がある。
【歴史】 鎌倉時代初期に源頼親が城郭を築いたと云われている。
鎌倉時代中期に瓜生衛により瓜生氏の居城として再築された。
南北朝時代の1337年(南朝延元二年/北朝建武四年)新田義貞が斯波高経による兵糧攻めに遭っている金ヶ崎城を脱出し、杣山城を訪ねた。
杣山城主・瓜生保および義鑑坊の兄弟はこれを受け入れ南朝を支持し、金ヶ崎城の救援に向かった。しかし敦賀市樫曲付近にて戦死し、金ヶ崎城も落城した。
その後、新田義貞は杣山城に篭るも結果落城し、北朝方の斯波高経の家老・増沢甲斐守祐徳が入ることとなった。
戦国時代、文明二年(1470年)朝倉孝景が日野川の合戦で斯波方を追い、河合安芸守宗清が入城した。
永正十一年(1514年)朝倉氏に対抗する一向一揆軍が立て篭もった。