朝日山城 (あさひやまじょう) (旭山城)
最寄地 長野県長野市平柴605 2014.7.16
朝日山城 (あさひやまじょう) (旭山城)
最寄地 長野県長野市平柴605 2014.7.16
登城ルート(緑線は車道)
登り口
堀切・石段
虎口
本丸・土塁
本丸西堀切
木曽義仲供養碑
展望台曲輪
朝日山城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高110m】
【案内・感想】 朝日山観世音堂(表記番地)の西200mより北に200m行くと行き止まりとなり、1台分の駐車スペースがある[マップコード54 214 770*65](地図)。
登ってゆくと、広い曲輪がある。そこよりさらに登ってゆくと、標高785m比高約110mの旭山山頂に東西約36m南北約30mの土塁で囲まれた本丸跡がある。簡単な説明看板、ハイキングコース案内看板がある。
登り口斜面に「木曽義仲霊」の供養石碑がある。本丸の西に崩れた石垣や空堀、竪堀があり東に石段・堀切がある。
東に細長い曲輪をゆくと大岩で塞がれ狭くなり、その東に展望台曲輪がある。北約1.9㎞(直線距離)に葛山城跡がある。
【歴史】 築城時期は不明だが、天文二十四年(1555年)、第二次川中島の戦いで、善光寺別当栗田鶴寿(栗田寛久)は武田晴信(信玄)と通じ、善光寺の西にあるこの旭山城に籠もった。
長尾景虎(上杉謙信)は、善光寺東側にある横山城に陣を構えていたが、謙信は付城となる葛山城を築いた。対陣は数ヶ月に及んだが、今川義元の仲介で和議が成立した。和議の条件の一つに旭山城の破壊が盛り込まれた。
しかし、第三次川中島の戦いで、弘治三年(1557年)武田軍が葛山城を急襲し落城させると、長尾景虎も出陣し旭山城を再建した。