賤機山城 (しずはたやまじょう)
最寄地 静岡県静岡市葵区宮ヶ崎町102-1 2016.2.6
賤機山城 (しずはたやまじょう)
最寄地 静岡県静岡市葵区宮ヶ崎町102-1 2016.2.6
登城ルート(左方向が北)
麓山神社
賤機山公園
3郭手前の堀切
3郭・土塁
虎口
主郭・土塁
主郭・城址碑・説明板
説明板
2郭跡
賤機山城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高140m】
【案内・感想】 静岡浅間神社(表記番地)北の参詣用駐車場が利用できる[マップコード25 525 646*82]。望楼型の壮麗な浅間神社本殿の南の石段を登ると、麓山神社がある(地図)。
その西より北に遊歩道があり約600m登ると、慰霊塔のある賤機山公園(地図)に着く。標高140mの公園からは静岡市内が眼下に望める。
北側のフェンス開口部より一旦下って、約400m行くと堀切があり、さらに、登ってゆくと、土塁のある細長い3郭で、藪化している。
遊歩道を北に登り詰めると土塁に囲われた15m四方ほどの主郭がある。標高173mの主郭には「賤機山城塞址」の石碑、説明板が建てられている。主郭の南に2郭がある。
南東の山麓に、今川氏歴代の菩提寺臨済寺(葵区大岩町7-1)がある。
【構造】 城は南北に続く賤機山の主尾根上及びそこから伸びる支尾根上に築かれており、其の範囲は東西約400m、南北約600mに亘る。要所には尾根を横切る形で大小の堀切が設けられ、敵の容易な侵入を防いでいる。
【歴史】 賤機山城は、南北朝の動乱期(14世紀)に、北朝方の今川氏が、安部川西岸の安倍城に本拠を構える南朝方の狩野氏に備えて築いた。
南北朝期以降は今川館の詰城としての役割を果たしていたと考えられる。
永禄十一年(1568年)には武田信玄の駿河侵攻によってその支配に降り、天正十年(1582年)の徳川家康の駿府入りにより、廃城となった。『静岡市教育委員会説明板』より。