三瀬館 (みせやかた) (三瀬御所) (県の史跡)
最寄地 三重県多気郡大台町上三瀬176 2016.4.3
三瀬館 (みせやかた) (三瀬御所) (県の史跡)
最寄地 三重県多気郡大台町上三瀬176 2016.4.3
登城ルート(緑線は車道)
館跡石垣
館跡碑・説明板
胴塚
三瀬館跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 国道42号線の中部電力㈱の横に「北畠史跡」の案内標識があり、約250m北に行ったところを左折、60m西を右折して北に約180m行き左折すると駐車場がある[マップコード255 545 169*00]。
その先を北に行き沢を渡ると三瀬館跡に着く。
三段になった館跡は公園となっており、「北畠具教卿三瀬館趾」の石碑が建てられている。
南に下って沢を渡ると民家(表記番地)横に 「北畠具教卿胴塚」がある。
一帯は昭和十六年(1941年)三重県の史跡に指定されている
【歴史】 南北朝時代、後醍醐天皇を助け活躍した北畠親房の子孫で、第8代伊勢国司の北畠具教(とものり)の館跡である。
永禄十二年(1569年)具教は大河内城合戦で北畠氏の総力を挙げ織田信長の大軍を迎え撃ったが、やがて信長の二男茶菱丸(後の信雄)を養子とする条件で和睦した。
その後、宮川筋に沿い要衝の地である三瀬の地に館を設けて隠棲し、勢威の回復を図った。
天正四年(1576年)11月に織田信長の指示により信雄の差し向けた刺客に暗殺された(三瀬の変)。『大台町教育委員会説明板』より。