小坂城 (おさかじょう) (桜城)
最寄地 長野県岡谷市湊4丁目7−29 2019.8.17
小坂城 (おさかじょう) (桜城)
最寄地 長野県岡谷市湊4丁目7−29 2019.8.17
説明板
登城ルート(緑線は車道)
山之神水道水源地
居館跡・通路
神武神社
竪堀
西側帯郭
主郭・標柱
北側切岸
北側下段
小坂城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 比高40m】
【感想】 岡谷市湊の比高40m程の独立丘陵にあり、中央自動車道で東西に分断されている。
主郭は自動車道直上で消滅し、西側部分が割とよく残っていて、竪堀や段郭、帯郭などが見て取れる。
南麓の畑となっている平坦地が居館跡と思われる。
【案内】 表記番地南より中央自動車道トンネル「諏訪23」を潜って行くと右手に「山之神水道水源地」がある。その先に駐車出来、右手に説明板が建てられている[マップコード75 113 574*00](地図)。
その少し左の電気柵の絶縁部分(黄色)を開け閉めして入り、北に行くと電気柵がある。そこから登ってゆくと間もなく、神社がある。そこから北に行くと、竪堀があり、その先に標柱(由来文付)が建てられている。
北に2段の郭があり、西側に帯郭、鞍部がある。
居館は南麓にあって殿屋敷の地名を残し、また近くにある御頭(おとう)屋敷と云う地名も、小坂氏が上社の社務を務めた両頭奉行であったことを示している。この他、桜垣外(がいと)、城山日向、火灯山等の小字が残っている。『標柱由来文』より。
【歴史】 築城は平安時代末の久寿元年(1154年)源清光の次男信義と云われる。
後年の歴代城主小坂氏は神(みわ)氏の支族で、上社大祝敦光の子・敦忠をその祖とし、小坂郷の地頭として小坂殿とも呼ばれていた。
上社に内乱のあった文明十五年(1483年)にはすでに築城されていて、天正十年(1582年)武田氏滅亡後に廃城になったと思われる。