勝間田城 (かつまたじょう) (県の史跡)
最寄地 静岡県牧之原市勝田2152 2017.3.23
勝間田城 (かつまたじょう) (県の史跡)
最寄地 静岡県牧之原市勝田2152 2017.3.23
登城ルート
城跡碑
三の曲輪・土塁
二曲輪と土塁
堀切
東尾根曲輪
本曲輪下
本曲輪・土塁・城址碑
説明板
堀切・南曲輪
勝間田城 本曲輪跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高70m】
【感想】 勝間田川とその支流、土器谷川、入山沢に三方を囲まれた、牧の原台地に連なる尾根を巧みに利用した連郭式の山城である。
堀切、土塁、土橋がよく残っており、一見の価値がある。背後の台地につながる一騎駆けには、堀切が無く、西側から攻められたら持ちこたえられそうもない印象だ。
【案内】 県道233号線より勝間田川を渡り西に行くと、表記番地の下に駐車場が用意されている[マップコード83 709 342*14](地図)。
両側に茶畑を見ながら舗装道を登ってゆくと、出曲輪がある。その上面は茶畑であった。
出曲輪の先に2重堀切と土橋があり、「勝間田城跡」の石碑が建てられている。
少し登ると両側に土塁を伴った三の曲輪があり、上段に同じく立派な土塁のある二の曲輪がある。
堀切、北尾根曲輪の左側を登ると、鞍部に出、左に東尾根曲輪があり東端に櫓台のような高台がある。
本曲輪には、西側に土塁があり城址碑、社、説明板が建てられている。本曲輪の左に堀切を挟んで南曲輪、腰曲輪が並んでいる。
腰曲輪の西に一騎駆けと呼ばれる土橋風の細い尾根があり、九十九折の急坂を登ってゆくと、平坦地に出、茶畑となっていた。
昭和五十八年(1983年)2月22日、静岡県の史跡に指定された。
【歴史】 勝間田氏はこの地方を本拠とする豪族で、勝間田平三成長は鎌倉幕府の御家人となり、その子孫の長清は「夫木和歌集」を編纂している。
元弘の乱(1331年)には河内の上赤坂城、千早城の攻防に後醍醐天皇側と鎌倉幕府側に分かれて参戦している。
室町時代、将軍の直属軍として、応仁の乱(1467年)や永享の乱(1438年)に活躍している。
応永年間(1394~1428年)勝間田定長が築城したと推定されている。
応仁の乱後、今川氏と対立し、文明八年(1476年)今川義忠の猛攻により落城し一族は四散した。一説に御殿場市周辺に移り住んだと伝えられている。
落城後、再び使われた記録は見当たらないが、遺構からその後に手を加えられた形跡が認められる。『静岡県教育委員会説明板』