鶴ヶ城 (つるがじょう) (神箆城・国府城・高野城) (県の史跡)
最寄地 岐阜県瑞浪市土岐町2811 2018.11.25
鶴ヶ城 (つるがじょう) (神箆城・国府城・高野城) (県の史跡)
最寄地 岐阜県瑞浪市土岐町2811 2018.11.25
登城ルート
登り口
城跡碑
二ノ木戸跡
西出丸
土塁
東出丸
本丸・土岐神社
本丸・土岐神社
大堀切(左が本丸切岸)
鶴ヶ城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高50m】
【感想】 土岐川に向けて伸びた標高266mの尾根に本丸を置き、南東(東出丸)と南(西出丸)に尾根先端に出丸が配置されている。
本丸背後に堀切があり、西出丸に向けて土塁が伸びている。土塁の付け根部に「葵の井戸」が残されている。
西出丸、東出丸からは土岐川に沿う集落や国道、中央道などが展望できる。
また、土岐神社背後の大堀切は、切岸も急で深く見応えがある。
【案内】 国道19号線「鶴城」交差点より県道352号線と反対側の中央自動車トンネルを抜けて左折し諏訪神社(表記番地)に駐車できる[マップコード98 497 443*05]。諏訪神社が大手門跡と云われる。
中央自動車道に沿った道を約200m南西に登ると、右側に階段があり城址碑が建てられている(地図)。本丸には稲荷神社、土岐神社が祀られている。土塁付け根から斜めに下ってゆくと、土岐神社背後に大堀切がある。
岐阜県の指定史跡となっている。
【歴史】 鎌倉時代初期に、源頼朝に仕えて功を挙げた土岐光衡によって築城されたと伝わる。
光衡は、麓の一日市場館(瑞浪市土岐町)を本拠として土岐氏を名乗ったとされ、土岐氏発祥の地と云われている。
承久三年(1221年)の「承久の乱」では、光衡の子・土岐光行(土岐左衛門尉)は幕府方、土岐光時(土岐判官代)は上皇方についたと考えられる。
光行の孫・土岐頼貞の代でも一日市場館を本拠としており、元亨四年九月(1324年)の「正中の変」の直前には、日野資朝が土岐館(一日市場館)に訪れた。
建武の新政の後、土岐頼貞は美濃守護となり本拠地を長森城に移し、更に孫の3代守護頼康が、文和二年(1353年)川手城に移している。
土岐氏が川手城に去った後は庶流の延友氏が入った。延友信光は織田家に属し岩村城の秋山信友と対峙した。
天正二年(1574年)正月六日には織田信長が明知城救援のため鶴ヶ城に入った。ここから武田軍攻略の軍を発進させている。
慶長五年(1600年)の関ヶ原の戦いの後、廃城となったとされる。