観音丸城 (かんのんまるじょう) (観音寺丸城)
最寄地 福井県南条郡南越前町板取85−36 2017.8.25
観音丸城 (かんのんまるじょう) (観音寺丸城)
最寄地 福井県南条郡南越前町板取85−36 2017.8.25
登城ルート(赤は西光寺丸城/緑は木ノ芽峠城/紫は観音丸城/青は鉢伏城)
木ノ芽峠の石畳を右へ
読めない説明板
南側切岸
城址標柱・入口
主郭・土塁
北西側1番目の堀切
北西側2番目の堀切・土橋
北西側平坦地・坂道から来た所
観音丸城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 木ノ芽峠を挟んで「木ノ芽峠城塞群」(北西より、鉢伏城・観音丸城・木ノ芽峠城・西光寺丸城)が築かれている。
南端に土塁を巡らした主郭があり、高さの違う2条の堀切を挟んで北に平坦地がある。説明板は読めず、標柱は藪の中に倒れており、かき分けてやっと見えた状態だ。主郭は放置され草茫々であった。
【案内】 国道476号線(北国街道)より「今庄365スキー場」(表記番地)へ向かう入口に大きな案内図が建てられている。スキー場の中を通って、約3.5㎞行くと、右側にコンクリートの登り口がある[マップコード635 152 696*12](地図)。その少し先に「木の芽城塞群図」の大きな看板が建てられている。
登り口より少し登ると、石畳の旧道に出る。石畳を右に行くと木ノ芽峠があり、左側に茅葺の民家がある。
民家の背後が木の芽峠城主郭で、石畳の下りになる所を右に登ってゆくと、観音寺丸城となっている。民家の私有地のため一声かけて登るとよい。
鉢伏城へ行く坂道の左に樹木の無い平坦地があり、そこから左へ行くことが出来る。
【歴史】 『朝倉始末記』によると、永禄十二年(1569年)織田信長の越前侵攻に備えて、朝倉氏が木ノ芽に城を構えたのが始まりである。その後、織田勢や一向一揆勢も立て籠もった。