北熊井城 (きたくまいじょう)
最寄地 長野県塩尻市北熊井9275 2019.8.10
北熊井城 (きたくまいじょう)
最寄地 長野県塩尻市北熊井9275 2019.8.10
登城ルート(緑線は車道)
東1南の空堀
北側から見た3重空堀
本城東の3重空堀(中央)・井戸跡
城跡碑・説明板
本城南の空堀(外側)
本城
本城西1間の空堀
西1の郭
西門跡・空堀
北熊井城 本城跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【感想】 塩尻市北熊井の東西に伸びた台地上に築かれており、中央に本城があり東と西に夫々3つの主要郭が配置されている。それぞれの郭間には空堀が残り、南辺にも土塁付の空堀が伸びている。
特に本城東には3重、南には2重の空堀があり、厳重な構となっている。
【案内】 県道63号線「南部保育園」交差点より長野自動車道を潜って東に行った表記番地南側の台地にあり、本城虎口付近に説明板が建てられている[マップコード75 463 187*57]。
本城西の空堀と「竹の花」西の空堀は舗装され車道となっている。
南西約1.2kmには出城として南熊井城がある。
【歴史】 築城年代は定かではないが小笠原氏により、松本の南を固めるため築かれたと思われる。
天文十四年(1546年)武田氏が上伊那を平定し、小笠原領に侵攻して来ると、大軍の前に熊井城は自落し、武田氏の手に落ちた。
『高白斎記』によると、天文二十一年(1552年)六月「熊野井ノ城鍬立」とあり、仁科氏領侵攻の前に武田氏により改修されたとみられる。
天正十年(1582年)武田氏滅亡後、徳川家康の配下となった小笠原貞慶(長時の三男)が、松本城に復帰すると、溝口美作守が北熊井城を所領とした。