大井田城 (おおいだじょう) (県の史跡)
所在地 新潟県十日町市中条 2014.7.16
大井田城 (おおいだじょう) (県の史跡)
所在地 新潟県十日町市中条 2014.7.16
説明板
登城ルート
駐車場・城址標柱・説明板
虎口
二の曲輪・詩碑
本丸曲輪・慰霊碑
大井田城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高30m】
【案内・感想】 国道117号線に面した市立中条小学校(十日町市中条甲1242−1)の北より東に1.3kmほど行った三叉路を北に左折し、約400m行くと行き止まりの城跡下登り口に着く[マップコード140 274 443*16](地図)。城址標柱 と説明板が建てられている。
比高約30mの山頂部に三角形の本丸跡があり、土塁上に「大井田経隆・氏経」碑はじめ「新田家主従」「大井田遠江守」「羽川刑部少輔」「中條越前守」四基の忠魂碑が建てられている。次の二の曲輪には詩碑が建てられている。
本丸跡の西側に二列三段にわたって階段状に曲輪が並び、これを取り巻くように二段の帯曲輪があり、その南端斜面を切るように竪堀、続いて畝状阻塞(そさい)が掘られている。
昭和五十三年(1978年)3月31日、新潟県の史跡に指定されたっている。
【歴史】 鎌倉時代末期から南北朝時代初期にかけて築城され、戦国時代末頃まで使用されたと考えられている。
大井田氏は上野国の豪族・新田氏の一族で、鎌倉時代の中頃に大井田郷に土着し勢力を振うようになった。
元弘三年(1333年)新田義貞が上野国で鎌倉幕府の討伐の兵を挙げた時、大井田経隆を首領とする越後の新田氏一族は真っ先に馳せ参じた。
これ以後大井田氏などの一族は、建武の新政から南北朝時代の動乱期に、南朝方として各地に転戦し勇名をとどろかせた。『十日町市教育委員会現地看板』より。