名古屋城 (なごやじょう) (那古野城・名城・金鯱城) (国の特別史跡・日本100名城44)
所在地 愛知県名古屋市中区本丸1‐1 2013.5.25
名古屋城 (なごやじょう) (那古野城・名城・金鯱城) (国の特別史跡・日本100名城44)
所在地 愛知県名古屋市中区本丸1‐1 2013.5.25
正門
辰巳櫓
五重天守・石垣
二の丸東二之門
本丸御殿
戌亥櫓
堀・戌亥櫓
名古屋城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★★】
【案内・感想】 県道215号線「名古屋城前」交差点より北に駐車場がある[マップコード4 348 423*78] (地図)。
二の丸・本丸は名城公園となり、三の丸には愛知県庁・名古屋市役所等官公庁や丸の内中学校などの敷地になっている。「表二の門」(重要文化財)を入ると、「恩賜元離宮名古屋城」の石碑が建てられ、「二之丸東二之門」(重要文化財)があり、その先の正門を入ると、築城時の栢の巨木(天然記念物)がある。
内堀の高石垣の上に五重天守・二重小天守が聳え、南西櫓が工事中である。清正石と呼ばれる巨石が本丸搦め手虎口にある。移築された「二之丸東二之門」(重要文化財)があり、その東が二之丸庭園(国の名勝)で、その南に愛知県体育館が建てられている。
本丸東南に二重辰巳櫓があり、本丸御殿が復元工事中である。小天守から天井のない通路を通り五重天守に入る。中は金鯱など尾張藩にゆかりの宝物が陳列されている。展望台からは名古屋の繁華街が一望できる。
御深井丸には工事中の建物があり、北西に戌亥三重隅櫓(重要文化財)があり、堀の外からの景観は素晴らしい。他に南東櫓(辰巳櫓:清洲櫓)、南西櫓(坤櫓)が重要文化財となっている。
昭和七年(1932年)12月12日国の史跡に指定され、昭和二十七年(1952年)3月29日、国の特別史跡に指定された。平成十八年(2006年)4月6日、日本100名城(44番)に選定された。
【歴史】 十六世紀前半今川氏親が尾張進出のため築いた柳ノ丸が起源とされる。天文元年(1532年)織田信秀が今川氏豊から奪取し那古野城と改名された。
信秀は一時期この城に居住し、嫡男・織田信長はこの城で生まれたと言われている。後に信秀は古渡城に移り、那古野城は信長の居城となったが、弘治元年(1555年)信長が清洲城に本拠を移したため、織田信光に譲られたが、翌年、家臣の坂井大膳により殺された。その後、廃城となった。
関ヶ原の戦い後の政治情勢や水害に弱い清須城から、徳川家康は慶長十四年(1609年)九男義直の名古屋藩の居城として、城を造営することを決定。翌年西国大名の助役により築城が開始された。
元和二年(1616年)清須城から名古屋城に義直が移り、以後徳川尾張家の居城となった。
城は現存していたが、昭和二十年(1945年)5月14日の米軍による名古屋大空襲で焼夷弾を受け焼失した。