谷村城 (やむらじょう) (谷村館)
所在地 山梨県都留市上谷1‐1 2014.1.3
谷村城 (やむらじょう) (谷村館)
所在地 山梨県都留市上谷1‐1 2014.1.3
谷村第一小学校・碑・勝山城遠景
城址碑側面
谷村陣屋跡
【遺構★☆☆☆☆】
【案内・感想】 谷村第一小学校(表記番地)の南東隅、県道705号に面し「谷村城跡」の石碑(地図)が建てられている。
また、その北東の都留簡易裁判所の南に「谷村陣屋跡」の石碑(地図)がある。
【歴史】 小山田越中守信有の中津森(都留市金森)の館が焼失したため、天文元年(1532年)谷村館を築き、信有が移ってきた。以後、弥三郎信有、信茂四代の居館となる。
天正十年(1582年)二月織田・徳川連合軍の武田攻めで信茂は誅殺され小山田氏は滅亡した。
徳川・北条間の武田旧領を巡る争奪戦(天正壬午の乱)で徳川家康が領すると、家臣・鳥居元忠を谷村館に配した。
その後天正十八年(1590年)豊臣秀吉の家臣・三輪五衛門尉近家、加藤作内光吉、浅野左衛門氏成が次々配され、文禄三年(1594年)浅野氏成により詰城として勝山城が築城された。
関ヶ原の戦いの後、慶長六年(1601年)元忠の子で徳川家臣の鳥居土佐守成次が城主となった。
寛永九年(1632年)、その子忠房は徳川光秀の弟忠長の国除けの事件の家老としての責任を取らされ、領地召し上げとなり、本堂茂親、設楽貞代の城代により治められた。
寛永十年(1633年)秋元泰朝が谷村藩の城主となり城下の整備にあたった。寛永十九年(1642年)その子富朝が相続。
明暦三年(1657年)富朝の外孫・秋元喬知(たかとも)が相続し、宝永元年(1704年)川越に転封後、廃城となり、天領として谷村代官が郡内を治めた。