龍ヶ崎城 (りゅうがさきじょう)
最寄地 長野県辰野町伊那富2054 2017.9.8
龍ヶ崎城 (りゅうがさきじょう)
最寄地 長野県辰野町伊那富2054 2017.9.8
登城ルート
登り口
居館跡
副郭南の堀切・土橋
副郭
主郭南の堀切・土橋
主郭・土塁
城跡碑
北西1番目の堀切
北西2番目の堀切
龍ヶ崎城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高120m】
【感想】 横川川とその支流小横川川に挟まれた、標高865.1mの城山南の尾根にあり、穴倉山から南東に伸び湾曲した姿が龍のように見える為、龍ヶ崎城と呼ばれるそうだ。
主郭の前後に折れのある土橋や堀切が残り、特に背後の2重堀切は深く、よく残っている。
【案内】 南東麓にある池上寺(表記番地)の南、国道153号線の「小横川入口」交差点を西へ入った所に登り口がある[マップコード171 852 116*02]。その先の墓地横に駐車出来る。
登り口に説明案内板が建てられ、その上が龍ヶ崎公園となっている居館跡で、背後に堀切がある。
途中に馬頭観音群や観音堂、仏像などがある。比高130m城山頂上の主郭に土塁が一周残り、南東に堀切、副郭、堀切、腰郭と並んでいる。北西に2重の堀切がある。
【歴史】 築城時期など定かでないが、寛正五年(1464年)より前と思われる。
天文十四年(1545年)四月、甲斐の武田信玄が福与城の藤沢氏を攻めた時、深志城の小笠原長時が福与城の後詰として龍ヶ崎城に布陣したため、荒神山城に布陣した武田軍は背後に敵を背負うこととなった。
しかし、同年六月武田信玄の武将板垣信方によって龍ヶ崎城は攻め落とされ、小笠原長時は深志へ退き、これによって福与城も開城となった。