西溝口城 (にしみぞぐちじょう) (溝口城)
所在地 愛知県稲沢市西溝口町北郷15 2014.12.13
西溝口城 (にしみぞぐちじょう) (溝口城)
所在地 愛知県稲沢市西溝口町北郷15 2014.12.13
成願寺・城址碑
城址碑
【遺構★☆☆☆☆】
【案内・感想】 県道128号線に面した成願寺(表記番地)の生垣に、昭和四十四年五月建之の「溝口城址」の石碑がありその下段に由来文(誤りが見られる)が刻まれている[マップコード4 482 004*03] (地図)。
東西約73m南北約47mの広さがあったとされるが、遺構はない。
【歴史】 溝口氏は承久の乱(1221年)の際の戦功を認められ、美濃国山県郡大桑の領地を賜り、それ以後はそこに住んでいたが、逸見勝政が応永年間(1394~1428年)にここ溝口村に築城して移った。
後に織田氏に仕え、溝口村を支配するようになった。子の溝口秀勝(定勝)は、天正九年(1581年)に織田信長からその才能を見出され、直臣として若狭国大飯郡高浜城5千石を与えられた。溝口城には奥田蔵人が入った。
天正十年(1582年)、本能寺の変で信長が横死した後、溝口秀勝は羽柴秀吉(豊臣秀吉)に属した。慶長三年(1598年)6万石を与えられ新発田城主に移封された。
慶長五年(1600年)、関ヶ原の戦いで溝口秀勝は東軍に与し、戦後、徳川家康から所領を安堵され、新発田藩初代藩主となった。
溝口城の廃城時期ははっきりしない。