龍泉寺城 (りゅうせんじじょう)
所在地 愛知県名古屋市守山区竜泉寺1‐902 2014.12.12
龍泉寺城 (りゅうせんじじょう)
所在地 愛知県名古屋市守山区竜泉寺1‐902 2014.12.12
龍泉寺仁王門
博物館(後ろ)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 県道15号線より北に登った龍泉寺(表記番地)の駐車場が利用できる[マップコード4 508 285*54]。
庄内川左岸の台地にあり、龍泉寺境内となり模擬天守が建てられている。境内裏側の日本庭園の横に建てられている三層の模擬天守は、国宝の木造地蔵菩薩像や円空仏などの宝物館(日曜のみ開館)となっている(地図)。
西斜面は墓地となり、境内の周囲の一部には空堀状の跡が残されているという。
【歴史】 龍泉寺は庄内川を望む高台にあり、庄内川、崖、湿地に囲まれた要害の地であって濃尾平野を一望できるため、古くから戦闘の際には軍事的価値が高く、陣を置かれることが多かった。
弘治二年(1556年)織田信行(信長の弟)が城を築いたと言われ、永禄三年(1560年)の桶狭間の戦いの前には、清洲城北東方面の防衛線を築くために織田信長が一隊を龍泉寺に派遣している。
天正十二年(1584年)の小牧・長久手の戦いの際には、小幡城に進出した徳川家康を討つべく羽柴秀吉が陣を張ったが(このことが後に「一夜堀」の伝説を生んだ)、秀吉が退却するときに放火されて建物が焼失した。
慶長三年(1598年)に近辺の寺院密蔵院の僧・秀純によって再興された。 明治三十九年(1906年)二月に再び放火され、多宝塔、仁王門、鐘楼を除く全てが焼失した。