花倉城 (はなぐらじょう)
所在地 静岡県藤枝市花倉 2017.2.2
花倉城 (はなぐらじょう)
所在地 静岡県藤枝市花倉 2017.2.2
説明板
登城ルート(緑線は車道)
土橋
帯曲輪
本丸
本丸二の丸間の空堀
二の丸・土塁
二の丸南の空堀
徧照寺にある今川氏家・範氏の墓
今川泰範の墓
花倉城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高140m】
【感想】 烏帽子形山の東北東約1kmの標高297mの山頂に今川氏により築かれた城である。
標識が要所要所に建てられ迷う事はない。二の丸の南と北に空堀がよく残っている。
南麓の徧照寺(藤枝市花倉397−1)からも行けるらしいが、途中で道が分からなくなってしまった。
【案内】 県道215号線「西方」交差点を左折、県道81号線を西へ約450m行き、左折しミカン畑の間の細い林道を約1.5km登った峠に入口があり標識が建てられている[マップコード279 582 207*27]。大きく右折して50mほどの右に駐車スペースがある(地図)。
そこより西へ約450m行った終点に説明板が建てられている。土橋を渡って登ってゆくと空堀に出、右(北)に本丸、左(南)に二の丸がある。二の丸の南に深い空堀が残っている。帯曲輪を伴った本丸と二の丸には碑が建てられ、二の丸によく土塁が残っている。
昭和六十一年(1986年)3月28日、藤枝市の史跡に指定されている。
南麓の徧照寺(藤枝市花倉397−1)には今川氏家・範氏の墓があり、前方の平坦地が居館跡とされる。
また、新東名高速道路北側の長慶寺(藤枝市下之郷)には今川泰範の墓がある。
【歴史】 14世紀後半今川氏初代範国が足利尊氏に駿遠を与えられた。文和二年(1353年)その子今川範氏が葉梨荘に入り居館とし、詰城として築いた。
その後、氏家、泰範、範政の3代約60年間今川氏の本拠地として栄えた。応永十八年(1411年)範政が駿河へ本拠地を移した後も、一族を花倉遍照光寺の住職とし、花倉城を駿府の西の守りとした。
16世紀前半には今川義元と兄花倉遍照光寺住持良真との間に起きた家督争い(花倉の乱)の舞台となった。