下之一色城 (しものいっしきじょう)
所在地 愛知県名古屋市中川区下之一色町権野107 2014.12.11
下之一色城 (しものいっしきじょう)
所在地 愛知県名古屋市中川区下之一色町権野107 2014.12.11
正色小学校
下之一色城址碑
【遺構★☆☆☆☆】
【案内・感想】 新川の左岸堤防横の市立正色小学校(表記番地)の校舎渡り廊下を潜った東側に、昭和五十年六月建之の「下之一色城址」の石碑が建てられ、側面に由来文が刻まれている(地図)。また横に「一色城址碑移設記念」の石碑が建てられている。
インターホンで見学の旨告げて門を開けてもらう。河川改修で現在は新川になっており遺構は残っていない。
最近、グーグルマップで見ると同校の南側の塀外に移されている[マップコード4 129 383*62](地図)。
【歴史】 前田種利は、息子の前田長種、前田定利とともに蟹江城主・佐久間正勝に属した。
天正十二年(1584年)小牧・長久手の戦いの際、最初は織田信雄に属しており、長島と清洲間の連絡役を務めていたが、滝川一益の説得で豊臣秀吉方へ寝返った。そのため徳川・織田軍に攻められて、落城した。
その後城は完全に破壊され、前田種利、定利は斬殺された。種利の子前田長種は前田利家の娘婿となり、前田利常の後見役を務めた。