仙当城 (せっとじょう)
所在地 長野県下水内郡栄村堺 2021.5.4
仙当城 (せっとじょう)
所在地 長野県下水内郡栄村堺 2021.5.4
登城ルート(二郭)
遊歩道標柱・二ノ入沢
堀切・土橋
堀切・主郭切岸
主郭・土塁
主郭東下段の三郭
堀切・土橋・奥に二郭
二郭・標柱
二郭南の堀切
二郭西側の竪堀
仙当城 二郭跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高160m】
【感想】 東の大巻川と西の二ノ入沢に挟まれた標高約456mの尾根に築かれている。
長大な竪堀や深い堀切を複雑に組み合わせた3つの主要郭から構成されている。
深い堀切や土橋などよく残っており見所は多く、土の城としては上級の部類に入ると思う。
【案内】 県道407号線より、大巻川左岸を通って南下した所に「二ノ入沢」の橋があり、橋を渡った右側に駐車スペースがある[マップコード579 800 199*72 ](地図)。
雪解けで増水した二ノ入沢の右岸に「仙当城遊歩道」の標柱が建てられ、ジグザグに登り尾根の遊歩道を南下する。左右の川から増水した瀬音が響いていた。
中間を過ぎたところに堀切があり、さらに南にもう一条の堀切がある。北側の細長い平坦地を過ぎると左に大きな堀切があり、土橋の右(西)に長大な竪堀が見られる。
斜面を登った北東に広い主郭があり、東側下段に三郭がある。
また南の二郭との間に見事な土橋がかけられ、東側の堀は巨大で堀底に仕切り土塁が伸び恰も2重堀のようになっている。
二郭に「仙当城跡」の標柱が建てられ、南側に土塁が残っている。
南東や南に堀切があり、竪堀に続いている。
【歴史】 奥信濃の国人領主・市河氏によって築かれたと云われる。
戦国時代、市河氏は信濃に侵攻してきた武田晴信(信玄)の配下となった。
天正十年(1582年)武田氏の滅亡後は森長可(ながよし)、さらには上杉景勝に属し、慶長三年(1598年)上杉氏の会津移封に従って移り、自然廃城となった。