小丸城 (こまるじょう) (県の史跡)
所在地 福井県越前市五分市町28‐108 2014.6.15
小丸城 (こまるじょう) (県の史跡)
所在地 福井県越前市五分市町28‐108 2014.6.15
説明板
小丸城趾碑
小丸城趾碑・石垣
石垣
本丸跡・城門石組
本丸虎口
本丸跡・忠魂碑
空堀・二の丸跡
小丸城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 二の丸跡に常安楽院(表記番地)があり、入口横に駐車した[マップコード200 537 328*53]。常安楽院の東に本丸がある。
鞍谷川によってできた味真野(あじまの)の扇状地の丘陵に、野々宮廃寺跡の一部を取り込んで築城された平城である。
本丸は東西45m・南北50m、高さは堀水面から7mあり四方に10mから30m幅の堀がある。また忠魂碑や虎口石垣に城門の石組が残っている。
曲輪の周囲に石垣や土塁、隅櫓跡があり、東に堀跡が残り、北に三の丸跡がある。
昭和七年(1932年)には城跡より前田利家による一向一揆勢の処刑の様子が記されているという文字瓦が出土し、「越前の里郷土資料館」に展示されている。本丸の南200mの丘に野々宮廃寺跡がある。
【歴史】 越前国で起こった一向一揆を収めた織田信長が、府中10万石余を府中三人衆(前田利家、佐々成政、不破光治)に治めさせた。
命を受け、三人衆の一人・佐々成政は尾張比良城より天正三年(1575年)当地に移り、小丸城を築城した。
天正十一年(1583年)に成政は、越中国富山城に移封され、八年余りで廃城となった。 城が未完であった可能性も高い。