大野城 (おおのじょう)
所在地 愛知県一宮市浅井町大野小屋裏1400 2014.12.10
大野城 (おおのじょう)
所在地 愛知県一宮市浅井町大野小屋裏1400 2014.12.10
大野極楽寺公園管理棟
城跡碑・由来碑
【遺構★☆☆☆☆】
【案内・感想】 大野極楽寺公園にある「バーベキュー管理棟」(表記番地)の駐車場が利用できる[マップコード28 384 125*27]。
東側「桜の里」公園の中央付近(大野古屋敷北)に「大野城跡」の石碑と、由来文の石碑が建てられている(地図)。
大正時代まで城跡として、盛り土や土塁があったが、木曽川の河川改修工事で撤去され、遺構は消滅している。
【歴史】 築城時期は不明だが、元京都石清水八幡宮の祠官・大野伊賀守治定が、織田信長の命により葉栗郡若宮寺村(現羽島郡岐南町)より馬美塚村(現一宮市浅井町大野)に移住し、八丁四方の屋敷城を築城し、後に大野佐渡守等が居住したとされる。
天正十二年(1584年)小牧・長久手の戦いでは下奈良、宮後、河田の砦と共に羽柴秀吉(豊臣秀吉)側の砦として利用されたと見られる。『新編一宮市史』。
慶長五年(1600年)、関ヶ原の戦いの前哨戦である河田木曽川渡河の戦いでは、東軍の一柳直盛が最前線として岐阜攻めに使用した。