三岳城 (みたけじょう) (国の史跡)
最寄地 静岡県浜松市北区引佐町三岳598 2016.3.20
三岳城 (みたけじょう) (国の史跡)
最寄地 静岡県浜松市北区引佐町三岳598 2016.3.20
登城ルート(緑は二の城)
三岳神社
中腹の平坦地・道標
二の城跡
一の城桝形門跡
一の城虎口
一の城本丸輪・説明板
説明板
城跡碑
西側の空堀・土塁
三岳城 一の城本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高140m】
【案内・感想】 国道257号線「井伊谷」交差点より東に約4.3㎞行った三岳神社(表記番地)の駐車場が利用できる[マップコード26 638 587*86] 。境内一帯が三の城[出丸]である。
登り口は神社左50mにあり、「井の国引佐町散策」と題された説明板が建てられている。
標識が各所にあり迷うことは無い。中腹に平坦地があり、比高100mほど登ると尾根に出、東に二の城跡(地図)があり、西に一の城桝形門跡を経てさらに40mほど登ると、一の城本丸跡がある。
本丸跡は中央が高く、説明板、「史跡三嶽城跡」石碑が建てられている。西側に段郭が数段あり空堀と土塁も残っている。
昭和19年(1944年)3月7日、国の史跡に指定された。
【歴史】 井伊氏により築かれた諸城の内の本城であった。南北朝時代、延元三年(1338年)秋、後醍醐天皇の皇子宗良(むねなが)親王が再び伊勢より井伊谷に入られ、三岳城を南朝勢力の遠江における軍事上の拠点とした。
足利尊氏勢の高師泰・高師冬・高師兼・二木義長の大軍に攻められ、遂に興国元年(1340年)正月落城し、同年八月二十四日夜、詰城大平城も追い落とされて、南朝の拠点は失われた。宗良親王は駿河の安倍城に移られたものと推定されている。
その後、戦国期の元遠江守護であった美濃の斯波義達が井伊谷に入り、曳馬城(浜松城)大河内貞綱と井伊氏がこれに与した。
今川氏親は細江町刑部城(おさかべじょう)・堀川城に伊達忠宗を入れて前線基地とし、三岳城を攻めた。
永正十年(1513年)掛川城主朝比奈泰以(やすもち)を主力とする今川勢の総攻撃によって落城した。