蔵王堂城 (ざおうどうじょう) (蔵王城)
所在地 新潟県長岡市西蔵王3‐2 2014.7.17
蔵王堂城 (ざおうどうじょう) (蔵王城)
所在地 新潟県長岡市西蔵王3‐2 2014.7.17
南東側堀・土塁
東側堀・土塁
南東側土塁
土塁・城址碑
堀直竒公像
安禅寺
金峯神社
蔵王堂城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 信濃川東岸にあり、掘が東と南東に残り土塁で囲われた本丸跡に安禅寺(表記番地)が建てられ、堀の東に金峯神社があり、蔵王公園となっている。南向かいの手水舎に駐車できる[マップコード58 162 523*08]。
本丸の南東土塁上に「蔵王城趾」の石碑があり、中央に「堀直竒公像」が建てられ、北東土塁上に「正善霊神」の石塔が祀られている。
後水尾天皇の中宮・東福門院和子(まさこ)の母とされる妙徳院を追悼して文久元年(1861年)に建立された。
【歴史】 南北朝時代に蔵王権現を奉る蔵王堂に北朝方の中条氏が本陣を構え、実質的な城(砦)とした。
正平七年(1352年)には南朝方の風間信昭らに攻撃された。後に上杉謙信へと続く古志長尾家の長尾景晴が入るも、四代後の孝景の代に栖吉城に移った。
その後、長尾為重(謙信の叔父)が蔵王堂脇に本格的な城郭として縄張りを行い、会津移封までは上杉家及びその家臣が治めた。
慶長三年(1598年)上杉景勝が会津へ移封された後は、春日山城に入府した堀秀治の弟、堀親良が入り、蔵王堂藩の初代藩主となった。
なお、蔵王堂藩は養子、堀鶴千代が坂戸藩の堀直竒の後見の元に継いだが、九歳で亡くなった為に断絶し、坂戸藩に編入された。
堀直竒(なおより)は飯山藩へ転封され、松平忠輝臣下の山田隼人が入城した。この時は藩としての復活はなく、福嶋藩(高田藩)の属領扱いだった。
忠輝が大阪夏の陣の不手際により改易されると堀直竒が蔵王堂城主として戻り、蔵王堂藩が復活した。
堀直竒は以前の統治時代に開始し転封により中断していた長岡城建築を進め、長岡城完成と共に移動した為に蔵王堂城は廃城となり、蔵王堂藩は長岡藩へと移行した。
長岡移転は蔵王堂城が信濃川のすぐ東にあった為、水害により城の一部が侵食される程の被害を度々受け、城の維持が難しかった為である。