松平城 (まつだいらじょう) (郷敷城) (国の史跡)
最寄地 愛知県豊田市松平町廣見2 2017.2.26
松平城 (まつだいらじょう) (郷敷城) (国の史跡)
最寄地 愛知県豊田市松平町廣見2 2017.2.26
説明案内板
駐車場裏から進む
登り口・説明板・城跡碑
松平氏遺跡碑・説明板
4郭
3郭
2郭
主郭
城阯碑
北側空堀
松平城 主郭跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高50m】
【感想】 標高298m比高約50mの山頂にあり、新城街道(国道301号線)を見下ろす要衝にある。樹木が伐採され保存活動が行われ、見晴らしは良い。国の史跡になっている。
【案内】 国道301号線に面して表記番地横に「松平郷駐車場」が用意されている[マップコード281 151 134*41](地図)。付近には髙月院や松平東照宮などの寺社がある(ともに国の史跡)。
トイレの裏の道を徒歩にて東へ約300m行くと右手に、登り口があり城跡碑、説明板が建てられている。
最高所に主郭を置き、西に2郭、3郭、4郭と並んでいる。2郭の南に井戸があり、4郭西端に櫓台がある。主郭には説明板、城阯碑が建てられ北から東、南の三方を空堀がめぐっている。
平成十二年(2000年)2月4日、「松平氏遺跡」(松平東照宮、高月院、松平城跡、大給城跡)として国の史跡に指定された。
【歴史】 応永年間(1394~1428年)松平氏の始祖親氏(ちかうじ)が築いたといわれる。
跡を継いだ2代泰親(親氏の弟。一説に子)が三男信光(松平宗家3代)と共に岩津(岡崎市)に進出してからは、次男信広の居城となったと伝えられる。(信広、信光は親氏の子との説もある)
信広は松平郷松平家(松平太郎左衛門家)の祖となり、子孫はその後も松平郷にとどまって442石取りの交替寄合旗本となった。
廃城時期は文禄年間(1592~95年)と云われるが、定かではない。