波木井城 (はきいじょう) (町の史跡)
最寄地 山梨県南巨摩郡身延町波木井3057 2025.7.12
波木井城 (はきいじょう) (町の史跡)
最寄地 山梨県南巨摩郡身延町波木井3057 2025.7.12
説明板
登城ルート(緑線は車道)
城口の城址標柱・右に行くと城址碑
顕彰碑・城址碑
東側風景
土門
2郭・主郭切岸
主郭
波木井城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 富士川右岸の標高約349mの山頂に築かれており、現在は2郭まで車で行けるが、国道52号線との比高差は110mで天然の要害であった。
土門の先の2郭は広く空き地と墓地となっており、東の主郭は一段高く草茫々であった。3郭は主郭東側下段にある。
「土門」「城口」「兵衛門」「調練場」などの城にゆかりの地名が残っているという。
【案内】 国道52号線より登って行った城口と呼ばれえる表記番地下の三叉路に城址標柱が建てられている[マップコード312 188 048*60](地図)。
そこから北に狭い道を登って行った終点に「波木井城趾顕彰之碑」「波木井城址碑」と説明板が建てられている(地図)。
戻って三叉路より西に行くと土門と呼ばれる虎口状地形があり[マップコード312 188 010*42](地図)、その先が空き地や墓地となった2郭となっている。主郭は東の一段高い鉄塔のある所である。
昭和44年9月12日、身延町の史跡に指定されている。
【歴史】 『甲斐国志』には、波木井実長の築いた城址とあるが、居館跡は梅平集落南側の山裾にもあり(地図)、両遺跡の関連性は明らかではない。
『身延鏡』には、大永年間(1521~28年)駿河の今川氏の武将・福島正成が甲斐へ攻め寄せた事を伝えているが、この時実長の末裔に当たる波木井義実は今川方に通じていた廉で、武田信虎に滅ぼされたという。
その舞台となったのが、「波木井の峯の城」即ちこの波木井城址であったといわれている。『身延町教育委員会』説明板より。