後瀬山城 (のちせやまじょう) (国の史跡)
最寄地 福井県小浜市伏原42‐7‐1 2014.6.15
後瀬山城 (のちせやまじょう) (国の史跡)
最寄地 福井県小浜市伏原42‐7‐1 2014.6.15
登城ルート(緑線は車道)
登り口・愛宕神社鳥居
曲輪
二の曲輪
主郭への石段・石垣
主郭手前の石垣
虎口
主郭石垣・城址碑
主郭跡・愛宕神社
後瀬山城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高160m】
【案内・感想】 国道27号線「後瀬山東」交差点より県道1号線を北に50m行った地点を西に行くと愛宕神社鳥居があり登り口がある[マップコード282 869 403*20](地図)。付近は住宅地で駐車スペースは少ない。
途中に曲輪群があり二の曲輪は広く、虎口の石垣や石段が残っている。歩行距離約500m登ると。標高169m比高約160mの山頂主郭に石塁が廻らされ、「武田氏城址」の石碑が建てられており、愛宕神社の拝殿がある。
主郭より北西に降りた曲輪に「山上御殿」跡の建物礎石がある。
また北側の稜線に沿って曲輪群があり、その先の麓に居館跡の空印寺(小浜市小浜男山2)がある。
平成九年(1997年)5月23日、国の史跡に指定された。
【歴史】 大永二年(1522年)若狭国守護・武田氏5代元光(発心寺殿)によって築城された。
のち、6代信豐、7代義統(よしむね)、8代元明へ継承され、守護大名武田家の拠点(若狭守護所)として栄えた。
若狭に続き丹後の守護も手に入れた武田家の隆盛をみた皇族や公家の一部は京都の戦乱を避け小浜に下向している。
永禄十年義統が死去すると元明が後を継いだ。翌、永禄十一年(1568年)越前の朝倉義景が武田家庇護と称して大軍勢を率いて後瀬山城に来訪、幼少の8代武田元明(六歳)を越前に拘束し連れ去った。