堀ノ内城 (ほりのうちじょう) (布引城)
所在地 長野県小諸市大久保2289 2020.11.23
堀ノ内城 (ほりのうちじょう) (布引城)
所在地 長野県小諸市大久保2289 2020.11.23
配置図
馬出しの三日月堀(外側)
馬出し(外)
馬出しの三日月堀(内側)
馬出し(内)・諏訪神社
3郭南の堀切
3郭
2郭
主郭の民家
主郭北の堀跡
堀ノ内城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 千曲川左岸の南から北へ伸びた細尾根で繋がった半島状地形に築かれている。
基部に馬出しの三日月堀がよく残り、途中に土塁堀切の残る3郭がある。墓地の2郭、民家のある主郭には堀跡の池があるが、他に目立った遺構は見られない。
細尾根西側斜面には、放置されたバンガローが多く見られた。
【案内】 小諸市大久保の表記番地が主郭に建っており、北側に池があるが遺構は見られない[マップコード85 585 323*23]。
2郭は宝篋印塔墓地となっており、その南の3郭に土塁、堀切が残っている(地図)。
南に行った諏訪神社の建っているところが2重の馬出しで、夫々三日月堀がよく残っている[マップコード85 585 053*80](地図)。
【歴史】 築城時期は不明だが、布下氏の居城とされている。南東約500mにある楽巌寺城主・楽巌寺雅方と共に行動を共にしていたという。
天文十七年(1548年)武田信玄に攻められ堀ノ内城、楽巌寺城は落城し、主君望月氏は武田氏に降ったが、堀ノ内城主布下雅朝は楽巌寺雅方と共に村上義清を頼って落ちた。
天文二十二年(1553年)村上義清が武田信玄に敗れて越後上杉氏のもとへ逃れると、布下雅朝は武田信玄に降った。