小倉山城 (おぐらやまじょう)
所在地 岐阜県美濃市(その他)1571 2014.11.25 2014.12.10
小倉山城 (おぐらやまじょう)
所在地 岐阜県美濃市(その他)1571 2014.11.25 2014.12.10
模擬櫓・本丸石垣
本丸石垣・由来石碑
小倉公園
頂上の展望台
忠魂碑
小倉山城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 長良川左岸の標高158.7mの小倉山にあり、「美濃市シルバー人材センター」(表記番地)南西の二の丸に駐車できる[マップコード70 754 504*57]。
「小倉公園」となっており、本丸跡に模擬櫓(屋外ステージ)が建てられ、石垣と土塁が現存し、下段の二の丸に由来文を刻んだ石碑「小倉山城と小倉公園」がある。その西に図書館の建つ三の丸がある。
本丸より北に遊歩道を登ると、山頂に三層櫓風の展望台が建てられている。展望台からは長良川に沿った町並や誕生山に連なる山々が望める。少し下った所に四阿が建てられ、忠魂碑がある。小倉山城跡として美濃市指定史跡となっている。
また城下町が現存し、「うだつの上がる町並」として重要伝統的建造物群保存地区となり、また本美濃紙が平成二十六年ユネスコ無形文化遺産に登録された。
【歴史】 慶長十年(1605年)飛騨高山藩藩主であった金森長近は、養子の可重に高山城を譲り隠居した。この城は長近の隠居城として築城された城である。別名「小倉居館」とも言われる。
その後、可重より長近の実子長光に2万石が分知され美濃国に上有知(こうずち)藩が成立した。
慶長十六年(1611年)長光は嗣子無く没し改易、廃藩となり、小倉山城も廃城になった。
元和元年(1615年)上有知は尾張藩の所領となり、城跡に代官所が置かれた。
明治年間は三の丸に上有知小学校が建てられ、明治三十三年(1900年)町有地として払下げられ、小倉公園が開設された。