高岡城 (たかおかじょう) (日本100名城33)(日本さくら名所100選)(県の史跡)
所在地 富山県高岡市古城1‐1 2010.11.7 2017.6.23
高岡城 (たかおかじょう) (日本100名城33)(日本さくら名所100選)(県の史跡)
所在地 富山県高岡市古城1‐1 2010.11.7 2017.6.23
案内図
朝陽橋
北内堀・中の島
本丸
前田利長公銅像
射水神社
本丸二の丸間の土橋石垣
二の丸・市民会館
本丸端・西外堀
高岡城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【感想】 高岡市の中心部に位置する平城で、小竹藪、本丸周辺に桜が多く植えられ古城公園として、市民の憩いの場となっている。
内堀、外堀がよく残り、本丸と二の丸間の内堀の土橋(石垣)などに、いにしえを偲ぶことが出来る
【案内】 県道44号線「古城公園北口」交差点横に北口駐車場がある[マップコード40 573 783*03] (地図)。南に行くと小竹藪(御城外)跡が公園となり、その西に中の島がある。
小竹藪より朱塗りの「朝陽橋(ちょうようばし)」を渡ると土塁に囲われた本丸跡であり、東に射水神社があり、西に「高岡古城公園」の広場があり、一般開放されている。
周囲に美術彫刻が陳列され、土塁の上に前田利長公の騎馬銅像が建てられている。
堀に囲まれた三の丸跡(地図)に体育館、明丸跡に動物園、南の鍛冶丸跡に博物館、その西の二の丸跡(地図)に市民会館が建てられている。
昭和四十年(1965年)年1月1日、富山県の史跡に指定された。
【歴史】 慶長十年(1605年)富山城に隠居した初代加賀藩主・前田利長は慶長十四年(1609年)富山城下の火災による類焼で富山城の大半の建物を焼失したため、魚津城に移り、大御所徳川家康と将軍秀忠に火災の報告し、関野に築城の許可をもらって、築城を開始した。
同年九月利長は関野を高岡に改め、未完成の高岡城に入城した。しかし慶長十九年(1614年)五月二十日利長は死去、その翌年には一国一城令により廃城となり、越中国の機能は完成した富山城に移った。
しかし廃城後も高岡町奉行の管理下で加賀藩の米蔵、塩蔵、火薬蔵、番所が置かれ軍事的拠点の機能をひそかに維持した。
文政四年(1821年)火災で米蔵等は焼失したが、間もなく再建され明治まであった。