安田城 (やすだじょう)
所在地 新潟県柏崎市安田 2014.7.20
安田城 (やすだじょう)
所在地 新潟県柏崎市安田 2014.7.20
城之組農村公園入口・標柱
二の丸跡
本丸跡・城址碑・東屋
本丸跡・城址碑
本丸跡(続き)
本丸南堀切
安田城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 国道252号線「安田」交差点より西に行った県道73号線「城之組」交差点より西へ約160m行き、北へ70m登った分岐道(地図)より急な坂道を西に登ると、二の丸跡が児童公園となっており、駐車スペースがある[マップコード187 313 630*14]。
その上段の本丸跡には、土塁があり「安田城址」の石碑、四阿が建てられている。本丸跡の西には堀切があり、その西の曲輪に配水池が設置されている。
【歴史】 築城年は不明だが、歴代の城主である安田氏が北条(きたじょう)の北条家から分家独立し鵜川庄安田城に移っている事から、安田氏初代当主の安田憲朝が築城したと思われる。
憲朝の父・道幸が安田条の地頭職を憲朝に移譲した記録(安田文書)もある為、憲朝以前に城が有った可能性もある。
室町時代、越後は守護である上杉氏と守護代の長尾氏の争いを始めとし、数多くの内乱が起きているが、上条の乱のごく一部の時期を除いては、安田氏は常に長尾家側に与した。
天文二十三年(1554年)の北条高広の謀反をいち早く長尾景虎(謙信)に伝えたのはこの城の城主安田景元であった。
五代目当主の広春は、本家筋の北条家惣領及び北条城主を兼任しているが、広春の死後に再び別の系図となり、広春の養子として景元が安田家を継ぐが、継いだ後は妻の実家であり本家筋の北条城で暮らしていた(天文二年(1533年)の上条勢との戦いの後に安田城に入城している)。
慶長三年(1598年)の上杉景勝の会津への移封時に、廃城となった。