鬼ヶ城 (おにがじょう)
所在地 三重県熊野市木本町 2013.9.4 2020.12.6
鬼ヶ城 (おにがじょう)
所在地 三重県熊野市木本町 2013.9.4 2020.12.6
登城ルート
景勝地鬼ヶ城
階段状の石垣
虎口・鞍部の郭
南東側の鬼の見晴台
南東側鬼の見晴台
本丸跡
北側の堀切
北の郭
北の郭北の堀切
鬼ヶ城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高120m】
【案内・感想】 国道42号線「大迫海岸」交差点より250mほど南に行き左折して450mほど行くと「鬼ヶ城センター」駐車場が用意されている[マップコード 246 809 694*67 ]。
鬼ケ城は海岸景勝地で、国の名勝(「熊野の鬼ケ城・附獅子巌」)の一部となっている。
熊野灘の荒波に削られた大小無数の海食洞が、地震の隆起によって階段状に並び、熊野灘に面し、獅子巌を中心とした海岸景勝地である。
城跡へは駐車場の北の階段(地図)より西の山に登り、途中階段状の石垣が残っている。
標高約140m比高110mの山頂は公園となり、南北に細長く、北の本丸跡と南の鞍部の郭、鬼の見晴らし台などの曲輪からなり、見晴台からは熊野灘やリアス式海岸の絶景が望める。
山頂と西の熊野古道の松本峠を結ぶハイキングコース横の尾根には2条の掘切が残っている。
【歴史】 応永年間(1394~1428年)、有馬和泉守忠永が阿田和(現・御浜町阿田和)から行野(現・尾鷲市)までを支配したと言われる。
大永三年(1523年)頃に有馬忠永の孫・忠親が隠居城として山頂に築城した。
有馬氏はのちに堀内新宮城主堀内氏によって滅ぼされる。堀内氏は豊臣秀吉に仕え、慶長五年(1600年)関ヶ原の戦いまで、当地を治めた。