狐楽城 (こらくじょう) (狐落城)
最寄地 長野県埴科郡坂城町大字網掛1571 2020.6.21
狐楽城 (こらくじょう) (狐落城)
最寄地 長野県埴科郡坂城町大字網掛1571 2020.6.21
登城ルート
自在山より見た遠景・狐楽城(黄)・三水城(赤)
村上大國魂社入口・城跡標柱・登り口
十六夜観月殿
北下段・説明板
主郭
東側石垣
1条目の堀切
2条目の堀切
3条目の堀切
狐楽城跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高260m】
【感想】 千曲川左岸の三水城より北東に伸びる標高670m地点の尾根に築かれている。2段の郭から成り、東側側面に石垣がよく残っている。
また南西尾根に3条の堀切が良好に残っており、見応えがある。
【案内】 県道77号線より西に行くと「網掛ポンプ場」がありその先に1台駐車できる[マップコード177 381 575*38](地図)。
その左手に登山口の標識があり、村上大國魂社の参道を登り左尾根に「十六夜観月殿」がある。
その南から尾根に登り、木道や石段の尾根を延々と登ってゆくと、城跡に着く。
昭和四十七年(1972年)9月8日、坂城町の史跡に指定された。
【歴史】 戦国時代、葛尾城を本城とする村上氏の支城であった。
天文十七年(1548年)信濃攻略を目論む甲斐の武田信玄に攻められたが、村上義清は上田原に迎え討って退けた。
天文二十二年(1553年)武田信玄が再度侵攻し、四月初めに武田方の謀略により狐楽城の守将・小島兵庫介、小四郎、与四郎の三兄弟は討ち死にした。
義清は四月九日、本城の葛尾城を捨てて、北へ逃れ上杉謙信を頼った。こののち、有名な川中島の合戦へと発展した。