鳥羽城 (とばじょう) (鳥羽の浮城・二色城・錦城) (県の史跡)
所在地 三重県鳥羽市鳥羽3丁目4−30 2013.9.3
鳥羽城 (とばじょう) (鳥羽の浮城・二色城・錦城) (県の史跡)
所在地 三重県鳥羽市鳥羽3丁目4−30 2013.9.3
三の丸広場
二の丸東
本丸西石垣
本丸跡
鳥羽市街
鳥羽城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 国道42号線より近鉄志摩線を潜って、西に行った中京銀行鳥羽支店(表記番地)に駐車させてもらい、南に約100m行くと、鳥羽城三の丸広場がある。
階段が整備され、登ってゆくと二の丸跡に着く。青く美しい鳥羽湾を望む東側に階段状の石垣が残っている。一段高く石垣の残る本丸跡は市立鳥羽小学校の運動場となっている。山麓北側の武家屋敷跡には市役所が建っている。
昭和四十年(1965年)12月9日、三重県の史跡に指定されている。
【歴史】 中世鳥羽城があった桶の山の鳥羽湾に突出した部分には、橘氏の居館があった。
文禄三年(1594年)当時、豊臣秀吉の家臣であった九鬼嘉隆がその跡地に築城した。
九鬼家2代守隆が死去すると、家督争いが起こり、寛永十年(1633年)、3代九鬼久隆が三田城に移封された。
その後、内藤家三代、天領、土井家一代、大給(松平)家一代、板倉家一代、戸田(松平)一代と目まぐるしく城主が代わり、享保十年(1725年)以降に稲垣家八代が続いた。
安政元年(1854年)の安政地震により城内天守以下の建物が倒壊し、修理することなく、明治四年(1871年)に度会県が置県され、同年に払い下げられ、破却された。