岩殿山城 (いわどのやまじょう) (岩殿城) (県の史跡)
最寄地 山梨県大月市賑岡町強瀬81‐1 2013.12.22
岩殿山城 (いわどのやまじょう) (岩殿城) (県の史跡)
最寄地 山梨県大月市賑岡町強瀬81‐1 2013.12.22
登城ルート
登り口・説明板
岩殿山ふれあいの館
大月市街・ 富士山
揚城戸跡
番所跡
西の曲輪
馬場跡
本丸跡・烽火台標柱
倉屋敷跡
出丸跡
岩殿山城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高250m】
【感想】 大月市にある標高634mの岩殿山に築かれている。頂上に郭を配置した東西に細長い城で、周囲は岩山の断崖の要害となっている。
遠く影富士を望み、夕方の大月の市街、その中の中央高速、中央線が眼下に望める。絶景を眺めつつ下山した。
【案内】 国道139号線の桂川を渡った北に「岩殿山公園駐車場」が用意されている[マップコード161 714 696*72]。他に北東麓から「鬼の岩屋」手前を通って登る畑倉登山口がある[マップコード161 744 586*52](地図)
国道を東に約100m行き「岩殿城跡入口」・「岩殿山丸山公園入口」の標識のある入口より登る(地図)(比高約250m)。
登ると間もなく門が復元され説明板が建てられている。そこより更に登ると「岩殿山ふれあいの館」(表記番地)があり屋根門のある公園となっている。
そこから急峻な道を登ると、礫岩を削った揚城戸跡、番所跡、馬屋があり、乃木希典の詩碑のある、物見台に使われた西の頂上に着く。西物見台といわれる岩は崩落の危険のため除去された。
一息入れて、東に行くと城内で一番広い馬場があり、倉屋敷跡を経て登り詰めると、電波塔のある本丸跡の標高634mの頂上である。烽火台が残る。
平成七年(1995年)6月22日、県の史跡に指定された。
【歴史】 小山田氏の谷村館の詰め城と言われている。小山田氏は初め武田氏と争っていたが、永正六年(1509年)武田氏の傘下に入り、武田氏の相模との境の城になった。
天正十年(1582年)織田信長軍が甲斐に侵攻したときに小山田信茂は織田方に寝返り、岩殿山城へ落ちのびてくる武田勝頼を郡内に入れず、進退に窮した勝頼は天目山山麓の田野村で自害した。
小山田信茂もこの戦いの後、織田信長により甲斐善光寺で処刑された。