水尾城 (みずおじょう)
最寄地 富山県魚津市舛方141 2014.10.4
水尾城 (みずおじょう)
最寄地 富山県魚津市舛方141 2014.10.4
登城ルート(緑は石の門砦)
石の門砦
石の門砦
林道の城跡入口看板
説明板
空堀
北から2番目の曲輪・土塁
土塁
水尾城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 升方城跡へ続く林道の分岐を南東に150m行くと、「石の門」砦がある[マップコード144 621 185*65] (地図)。
「石の門」周辺には曲輪や土塁があり砦の機能を備えているため「石の門砦」と呼ばれ、魚津市の史跡となっている。
そこを100m行き左折、すぐ右折する(水尾城跡入口の大きな看板がある)。700m行きT字路を左折300mほど行くと、終点に1台がやっと転回できる駐車スペースがある[マップコード 144 591 649*12 ]。
台形の案内板が設置されている。その先の空堀を登ると、曲輪が南北にある、北は土塁が残っているが、草に覆われている。その北にも空堀、曲輪、主郭があるが草が茂り、見ることはできなかった。
【配置構造】 丘陵には北より升方城跡、南升方城跡、石の門砦、水尾城跡、水尾南城跡と南北に配置されている。東方1㎞には松倉城跡がある。
水尾城跡は丘陵の細長い尾根上にあり、南北約350m、東西約180mの範囲に5条の空堀で区切られた4つの曲輪があり、北側の曲輪が一番広く西方に帯曲輪を巡らせている。
北から三番目の曲輪は南北の両端に土塁と石積みを配し、最も堅固である。
【歴史】 標高約303mの丘陵に築かれた山城で松倉城の支城の一つである。
水尾城の名が歴史上に登場するのは、南北朝時代の『得田文書』で、貞和二年(1346年)七月能登勢が水尾城や水尾南城を攻めたと記されている。
昭和三十八年(1963年)4月1日、魚津市の指定文化財記念物になった。『魚津市教育委員会説明板』より。