躑躅ヶ崎館 (つつじがさきやかた) (武田氏館) (国の史跡・日本100名城24)
所在地 山梨県甲府市古府中町2611 2013.9.1
躑躅ヶ崎館 (つつじがさきやかた) (武田氏館) (国の史跡・日本100名城24)
所在地 山梨県甲府市古府中町2611 2013.9.1
南側橋・堀
南側堀
北側堀
武田神社拝殿
大手門跡・土塁
躑躅ヶ崎館大手(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 東より大手地区、武田神社(表記番地)敷地の主郭(東曲輪・中曲輪、西曲輪)が並んでいる。大手地区は復元工事中である。主郭は200m四方で10間幅の濠、土塁石垣で周囲を囲われ東に大手門、北、西に門があり、現在の武田神社の鳥居のある南は土塁石垣であった。西曲輪も同様に濠、土塁で囲われ南北に門があり、東は主郭と橋でつながっていたと考えられている。
昭和十三年(1938年)5月30日、国の史跡に指定された。平成十八年(2006年)4月6日、「武田氏館」として日本100名城(24番)に選定された。
【歴史】 武田信虎が永正十六年(1519年)石和から相川と藤川に囲まれたこの地へ居館を移し要害山城を詰城としたことから始まり、信玄(1573年病没)・勝頼三代の居館であった。
武田氏滅亡後は文禄年間に甲府城ができるまで70年間、領国の政治、経済や文化の中心であった。天正十年(1582年)武田勝頼は新府城を築き躑躅ヶ崎館より移転した。しかし間もなく行われた織田信長による甲州征伐で武田氏は滅亡した。
天正十八年(1590年)徳川家臣の平岩親吉による甲府城が完成するや機能を失った。
大正八年(1919年)武田神社が創建され、南の土塁、石垣は切り崩され正門が造られ現在に至っている。