村松城 (むらまつじょう)
所在地 新潟県五泉市村松乙2‐1 2014.7.21
村松城 (むらまつじょう)
所在地 新潟県五泉市村松乙2‐1 2014.7.21
郷土資料館
堀・土塁
堀・土塁
石垣・四阿
城跡公園・土塁
城跡橋
五泉市村松支所・大手門跡
説明案内板
村松城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 五泉市村松郷土資料館の南から東にかけて土塁や堀が残り、「村松城跡公園」(表記番地)となっている[マップコード32 080 709*24] 。
南に二の丸跡がある。東に城跡橋が更新されその東、「五泉市村松支所」(五泉市村松乙130−1)南東角に大手門があった。城跡橋の架かる滝谷川が外堀を兼ねていた。
公園中央の櫓台石垣に四阿が設けられ、横に蒲原鉄道の車両が保存されている。資料館の前に村松藩の紋入り手洗鉢が置かれている。
【歴史】 杉氏が越後国を統治していた時代に館があったと伝えられる。
寛永十六年(1639年)に村上藩主(村上城主)だった堀直竒の次男堀直時が蒲原郡3万石を分封され、その後正保元年(1644年)に堀直吉によって陣屋が築かれた上で城下町が形成された。
嘉永三年(1850年)九代藩主堀直央(なおひで)が城主格を拝命したことにより大改築が行われた。規模は東西約240m、南北約330mの広さであった。
慶応四年(1868年)の戊辰戦争で奥羽列藩同盟に加盟した村上藩によって自ら火をかけられた。
明治四年(1871年)の廃藩置県で村松県庁舎が置かれたが、県が新潟県に吸収合併された後に土地は払下げされた。
昭和五十四年(1979年)から昭和五十九年(1984年)にかけて村松町によって土地が買収されたのちに、郷土資料館と民具資料館が建てられ、昭和六十二年(1987年)から村松城跡公園となっている。
近年発見された城郭絵図「御普請方絵図」、山田岩蔵覚書絵図、御目付方御用手控、御次勤向覚などの資料により百分の一の本丸御書院、二の丸南御殿の模型が制作された。