甲府城 (こうふじょう) (舞鶴城・府中城) (県の史跡・日本100名城25)
所在地 山梨県甲府市丸の内1-5-4 2013.9.1
甲府城 (こうふじょう) (舞鶴城・府中城) (県の史跡・日本100名城25)
所在地 山梨県甲府市丸の内1-5-4 2013.9.1
遊亀橋・塀
堀 ・石垣.
鍛冶曲輪・本丸石垣
鉄門・石垣
天守台
稲荷櫓
稲荷櫓・石垣
甲府城 入口(地図)
【遺構★★★★★】
【感想】 江戸時代の城らしく壮麗な石垣が改修されて残っている。また鉄門、塀、稲荷櫓が復元されている。
【案内】 JR中央本線「甲府駅」の東の県道31号線「県民会館前」交差点より東に行った舞鶴城公園(表記番地)となっている。(一方通行あり、近くの有料パーキングを利用)。
平成二年から整備事業が行われ、堀、本丸の高石垣は素晴らしい。堀に架かる遊亀橋を渡ると鍛冶曲輪である。鉄門(くろがねもん)が復元されている。
西に行くと鍛冶曲輪門が復元され、坂下門跡の北が二の丸で、本丸の南西に謝恩塔や鉄門があり、北西に内松陰門があり、稲荷曲輪に稲荷曲輪門、稲荷櫓も復元された。石垣の整備された天守台から甲府市街が一望できる。
平成十八年(2006年)4月6日、日本100名城(25番)に選定された。昭和四十三年(1968年)12月12日、県の史跡に指定された。
【歴史】 甲斐国は天正十年(1582年)武田氏滅亡後、織田信長・徳川家康(城代は平岩親吉)の時代を経て、天正十八年(1590年)豊臣秀吉の支配となり、羽柴秀勝、加藤光泰、浅野長政・幸長親子により治められていた。甲府城は慶長五年(1600年)ころに浅野氏により完成した。
関ヶ原の戦いの後は、徳川義直(家康の九男)、忠長(秀忠の三男)、綱重(家光の三男)、綱豊(後に六代将軍家宣)ら徳川一門が城主となり城番・城代が置かれた。
宝永二年(1705年)武川衆出身の柳沢吉保・吉里親子が領主となりこの時期に城下町も大きく発展した。柳沢氏の大和郡山移封後は甲府勤番制となり、大火にも見舞われ、次第に壮麗な姿は失われていった。
明治四年(1871年)には廃城となり建物はほぼ無くなり葡萄酒醸造所が造られるなどして、明治三十七年(1904年)に舞鶴公園として開放されている。